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CULTURE

雪を待って。再びジュラへ。

ジャン=シャルル氏は「コンテを語るならば、雪に閉ざされた冬のジュラを省いては語れない」と言う。ならば、雪が積もったところで再びレ・ルスに戻ることにした。ジャン=シャルル氏とは常に連絡を取り合い、再訪時に何を撮るかなどを綿密に打ち合わせていた。

ところが、普段なら11月ともなれば雪が降り始め、5月の頭まで残ると言われるこの雪国が、この年は暖冬の影響で一向に雪が積もらなかった。すべての準備が整ったのに、雪が降っては溶けてしまう。こればかりは待つしかない。そして、2月の後半になりようやく雪が積もった。ジャン=シャルル氏からすぐに来るように連絡が入り、私はTGVに飛び乗った。さすがに雪道をバイクで走るリスクは負いたくないので、今回はTGVとレンタカーで移動することにした。レ・ルスへ行くには、TGVでジュネーブまで行き、そこから車で引き返すほうが早い。ジュネーブを出て山をひとつ超えれば、1時間もかからずに到着する。

コンテチー時を熟成させる棚を作るのに湿気に強く頑丈な木はこの針葉樹から。
この自然を生み出すジュラ山脈が奥に見え、雪原となった農場にはもやもかかる。
何世紀も前から同じ風景をここで見ることが出来たのだろう。
この風景をエリオグラビュールで表現。
雪の白さがうまく表現できなくて摺師ファニーさんを悩ませた一枚でもある。

雪のジュラ山脈を撮影するならばここだ、というロケーションをジャン=シャルル氏がすでに探しており、彼の車で案内されるままにシャッターを切った。ジュラを知り尽くした彼だからこそ見られる風景を撮影できた。自分ひとりでは、この土地をよく知らなければ絶対に立ち寄らないような場所から撮影できたのは、ジャン=シャルル氏のおかげだった。

これも朝靄がかかる雪原。木を見れば分かるように雪が積もっていない。
そしてこの午後には雪は解けてしまって雪原も消えた。この年は暖冬だったのだ。

その後、チーズ工房に立ち寄り、コンテチーズの製造過程をジャン=シャルル氏から直々におさらいする。また、その元となるミルクがどのように作られるのかを知るために、モンベリアール牛の酪農家を訪れた。私が「最新の設備ではなく、その土地に古くから伝わる風景を見たい」と希望していたことがジャン=シャルル氏を通じて伝えられていたようで、酪農家の方は、代々伝わる地方の酪農家の服装を身に着け、100年以上前に使われていた木製のミルク収集ボウルを用意してくれていた。彼らは役者ではなく、その土地で生まれ育った「生きた歴史」そのものだった。

伝統的なこの地方の酪農家の服を着て100年以上前の木製のボールで搾乳を見せてくれた。
握手をした時にとても硬い手がとても印象的でその感覚をこの写真に込めてみた。

熟成庫に戻ると、まずレンネットを見せてくれた。それは仔牛の胃袋を乾燥させたもので、これを細かく刻んでミルクに浸し、天然の方法で凝固させるものだ。現在では同じ成分のものが人工的に作られているが、私はこうした伝統的な方法を見たかった。そして、ジャン=シャルル氏もこの体験をきっかけに、昔ながらの製法でチーズを作ることに興味を持ち始め、そのアイデアを得たと言う。お互いに刺激し合い、新たな発見が生まれる瞬間だった。

撮影のために用意された仔牛の胃袋を乾燥させたモノ。
それを壺に入れておいた姿が帽子をかぶった小人に見えたのでシャッターを切った。
きっと熟成に関わってる小人達がここに住んでいると思う。

コンテチーズは、自然と人が長い歴史の中で育んできたものだ。誰かが設計し生み出した工業製品ではない。では、これを誰が、いつ「コンテチーズ」と呼んだのか。その証拠はあるのか。これはジャン=シャルル氏の探究心だった。そして彼は、イギリス国立図書館で1263年に書かれた文献を発見した。その文書には、イギリス王室がジュラ地方のあるコンテチーズ工房を王室御用達とする旨が記されており、そこに“Comte”と明記されていた。これが、コンテチーズに関する最古の記録である可能性が高い。その本は購入できなかったが、彼はすべてのページをコピーして手に入れたという。

歴史上初めてコンテチーズを書き記したイギリスの王室に伝わる古文書。

再び熟成庫に戻ると、一角の様子が変わっていた。ぎっしりとコンテチーズが並んでいた棚の一部が空になっている。熟成士の写真は常に横からしか撮ることができないが、ジャン=シャルル氏は正面からの撮影を希望していた。そのため、チーズを移動させ、正面から撮影できるスペースを作っていたのだ。また、モデルとなる熟成士は通常、白衣、長靴、帽子を身に着けているが、ジュラ地方のチェック柄のシャツを着用し、彼の祖父が使っていた塩入れの桶を手に持つなど、伝統的な姿で撮影に臨んでくれた。撮影が始まると「待った!」と彼が声を上げた。「当時こんなメガネはしていなかった」と言い、メガネを外してから撮影を再開した。

熟成士を正面から撮った写真は中々無い。そのために準備されていたため撮れた一枚。
初めて訪れた時は白衣に、帽子をかぶっていた熟成士。
この日は伝統のチェック柄で作業を見せてくれた。

撮影の途中、レ・ルスの敷地からジュラ山脈を見渡せる場所に立ち寄った。そこで私は、「積もった雪にジャン=シャルル氏が手を当てる姿を撮影したい」と頼んだ。彼は意図が分からなかったが、言われるがままに手を雪の上に置いた。そして、熟成庫の中では、もう片方の手を熟成の進んだチーズの上に置いてもらい撮影した。この2枚を1つの紙の上に並べることで、「ジュラの自然と雪、そこに人の手が加わり、チーズが誕生する」という今回のテーマを象徴する写真となった。

ジュラの自然に人の力が加わって出来たコンテチーズ。
Une Odyssée humaine sur les montagnes du Juraこのサブタイトルはジャン=シャルルが付けてくれたのだ。

帰り道、レマン湖に接するフランスの村「イヴォワール」に立ち寄った。この村は「フランスの最も美しい村」のひとつに選ばれている。そしてパリへ戻り、いよいよ写真の選定と印刷に入ることになった。

レマン湖というとスイスの湖と思っていたが一部はフランスに接していた。
そこには美しい村に選定されたイヴォワールがあった。

文・写真 櫻井朋成

<関連リンク>

Juraflore: https://fort-des-rousses-test.juraflore.com/fr

コンテ生産者協会:https://www.comte.jp

ここで紹介した作品はRoonee 247 Fine Artsでご覧いただけます。

Roonee 247 Fine Arts(ルーニィ・247ファインアーツ)https://www.roonee.jp/

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