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CULTURE

滞在3日目:コンテチーズ工房、サラン=レ=バン、大地を受け継ぐ酪農家

滞在3日目。この日は5月1日、フランスではメーデーの祝日だ。当初予定していた2か所の訪問が最終日に変更となった。

最終日は、体調と天候を考慮し、午前中はゆっくり出発して、休憩を多く取りながらのんびり帰ろうと考えていた。だが、予定が変更になったことで、熟成庫とチーズ工房をどうするか悩んだ。キャンセルするか、それともせっかくここまで来たのだから立ち寄るべきか……。判断がつかなかったので、そのことは後で考えることにした。

この日、祝日にもかかわらず、チーズ工房は快く僕の訪問を受け入れてくれた。前日にRIVOIRE JACQUEMINで出会ったFromagerie de Desnesに向かうことになった。ただし、集合時間は朝7時。

チーズ工房で学ぶコンテチーズ作りの工程

時間に余裕を持ってFromagerie de Desnesに到着。この日も天気が良く、気持ちの良い朝だった。

教会と市役所と同じ敷地内にあるコンテのチーズ工房Fromagerie de Desnesに到着。

このチーズ工房は、教会と市役所と同じ敷地にあり、中世の時代にはこの地域で典型的な構成だったという。ここでは、初めてじっくりとミルクがチーズへと変わる工程を、解説付きで学ぶことができた。

これまで言葉で説明を聞いたり、ネットで調べたりはしていたものの、実際の作業を目の当たりにすると理解の深まりが全く違った。分からないことがあれば、その場で質問できる環境もありがたかった。そうしてようやく、コンテチーズ作りの流れをしっかりと理解することができた。

凝固剤を混ぜたミルクが熱せられちょうど杏仁豆腐のような状態になっている。
これがミルクがチーズに変わったところだ。

朝早くに周辺の農家から届いたミルクは、まず加熱され、凝固剤を加えられる。しばらくすると、ミルクはヨーグルトのように固まり始める。次に、それを崩しながらカード(固形成分)を分離させる。カードが米粒ほどの大きさになるまで攪拌し、やがてカードは沈殿し、上澄みとしてホエイ(乳清)が完全に分離する。カードは釜から取り出され、型に入れられ、こうしてコンテチーズの”赤ちゃん”が誕生するのだ。

凝固した所からカードが米粒大になるところまで攪拌する。
沈殿しているカードをバキュームで吸い上げる。
それがそのまま型に流し込まれてコンテチーズの赤ちゃんとなるのだ。

ホエイから生まれるバター

驚いたのは、ミルクからカードを取り除いた後に残る白濁したホエイだった。これはどうするのかと尋ねると、スタッフがコップにすくって「飲んでごらん」と手渡してくれた。

恐る恐る口に含んでみると……なんと甘い!ホエイはホースで別のタンクへ移され、ここでバターへと生まれ変わるのだという。

作業を一通り見せてもらった後、朝食をいただくことになった。クロワッサンを用意してくださり、僕が「バターをたっぷりつけるのが好きだ」と話すと、ここで作られたホエイバターを出してくれた。

「フランスには塩入りバターもあるけれど、それが好きなんだ」と言うと、スタッフはこう答えた。

「塩入りのバターは工場で作るもの。本物のバターには塩を入れないんだ。塩が必要なら、その場でかければいいだけさ。」

生まれたてのコンテの赤ちゃんはこの工房で2週間ほど面倒を見る。
全身で呼吸できるように毎日ひっくり返したり、塩水で洗って腐食を防ぐ。
そしてそれがチーズの塩味になっていく。
たくさんのことを教えていただいたがここで撮った写真は作品とならなかった。
ここで紹介できることが本当にうれしい。

大製塩所・サラン=レ=バンへ

1962年に閉鎖された大製塩所。
一部が博物館となり後は見学コースで中世からの地下をガイド付きで見学できる。

3日目にして、ようやくコンテチーズ作りの全体像を理解することができた。見学を終えても、まだ午前中。そこで、この日は世界遺産にも登録されている「大製塩所(Grande Saline)」があるサラン=レ=バンへ行くことにした。

このジュラの大地は、太古の時代は海だった。大陸が移動し、陸地が隆起して山脈が生まれた。そのため、地下には岩塩層があり、そこを通った雨水が塩水(Saumure)となる。この塩水を汲み上げ、煮詰めることで塩を採取してきたのだ。

地下に進むと大聖堂のような造りになっている。
当時のトンネルの建築法は特になく、大聖堂などを作る技術が応用されたためだ。
岩塩を通って塩分を含んだ地下水を吸い上げるのだ。

この地で塩が採取されていたのは石器時代から。つまり、コンテチーズの熟成に欠かせない塩も、すでにこの土地にあったのだ。コンテチーズは、ジュラの自然がすべてを構成しているということを改めて実感した。

「白い黄金」とも呼ばれた塩。製塩所はその価値の高さから拡張されていった。地下へ降りると、そこには当時の建築技術で作られたトンネルが広がり、まるで大聖堂のような荘厳な雰囲気を醸し出していた。

しかし、19世紀になると海水から塩を作る方がコストが低くなり、次第にこの地での製塩は縮小。1962年に閉鎖された。現在では、当時の姿を残したまま世界遺産として保存され、見学することができる。

魔法使いかと思ったこのお三方。
塩水を熱してお塩にする実演をするこのサランレバンを保存する協会のボランティア。
出来たお塩は無料でいただける。

ジュラの大地を受け継ぐ酪農家

この日の最後に、滞在している農場を見学させてもらった。ここは、コンテチーズのためのモンベリアール牛を飼育している酪農家だ。

搾乳の作業中。ここで集められたミルクは明日にはコンテになっていくのだ。

案内してくれたのは、赤ちゃんを抱いた娘さん。その赤ちゃんを牛舎の干し草が敷かれた床にそっと座らせると、落ちている干し草をつかみ、口に入れて遊び始めた。

牛舎の中でもまるで自分の家のようにくつろぐ赤ちゃん。
干し草を咥えたり、牛を触った手で指をしゃぶったり。
すでにしっかりと免疫がついている。
ジュラの大地に生まれ育ち、その営みを受け継いでいくのだ。

そんなことを考えながら、沈みゆく夕日に照らされた赤ちゃんにカメラを向けると、ちょうど良いタイミングで振り返ってくれた。

その瞬間がフランス人間国宝の手によってエリオグラビュールの作品となった。
この作品はRoonee 247 fineartsでご覧いただけます。

この子は、ジュラの大地に生まれ、ここで育ち、この土地を受け継いでいくのだ。

その瞬間、コンテチーズをテーマにした写真展が見えてきた気がした。

最終日に向けて

さて、明日は最終日。

変更になったチーズ工房と熟成庫、どうするか迷っていたが、せっかくの機会だから行くことに決めた。昼頃に出発すれば、それほど遅くならずに帰宅できるだろう。
そう考えながら、この日を終えた。 つづく。

<関連リンク>

Marcel Petitehttps://www.comte-petite.com/visiter-le-fort/

コンテチーズ生産者協会(日本支部)https://www.comte.jp

文・写真 櫻井朋成

フランス在住の写真家。フォトグラビュール作品を制作。現在はジュラ地方のガストロノミーを追い、コンテチーズやヴァンジョーヌ、ワインに関わる人々や伝統を記録中。 個展や展示情報はこちらから! 
https://tomonari-sakurai.com
グラビュール作品についてはnoteでも執筆中
https://note.com/tomogravure

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