最初のジュラでの撮影を終え、方向性が見えてきた。写真展の構想は、当初フレンチのフルコース全体をテーマにしていたが、最終的にコンテチーズ一つに絞ることに決めた。なぜなら、コンテチーズは単なる美味しい食べ物ではなく、その土地に根付いた風土、歴史、人々といった壮大なテーマが詰まっていることを実感したからだ。
撮影はLEICAのデジタルカメラとフィルムカメラを併用し、長年使い慣れたCONTAXでもフィルム撮影を行った。エリオグラビュールの作品にはデジタルが良いのか、フィルムが良いのか——それを試してみたいという思いもあった。
写真を整理し、エリオグラビュールのアトリエに持ち込んで見てもらい、作品制作の話を始める。この技法で人間国宝(Maître d’Art)のファニーさんは、まず「なぜその写真家がエリオで表現しようとするのか?」を感じ取ってから制作に入る。だからこそ、作品を前にじっくり話をする時間が必要なのだ。しかし、ファニーさんの口から出たのは、思いがけない一言だった。
「わかんない。」
僕がその瞬間にシャッターを切った理由、何に心を打たれたのかが分からないという。もともと「食」に興味がない(時々その日の食事することを忘れるほどに)彼女にとって、写真の印象だけでは核心に触れられなかったのかもしれない。そこで、ファニーさんから提案があった。
「戻ろう!ジュラへ。」
僕が見て、シャッターを切った場所を実際に訪れたい。そこに立ち、感じることで理解したい——それが彼女の答えだった。こうして、摺師であるファニーさんと共に、再びジュラへ向かった。
再び訪れたのは、ジャン=シャルル氏のForte des Rousses。熟成庫に到着すると、ジャン=シャルル氏がファニーさんにコンテについて語り始める。僕を含め、多くの人が「ミルクからチーズができる」ことは知っていても、その過程を深く理解しているわけではない。ファニーさんも同じだった。
説明を聞き終え、いよいよ熟成庫の中へ足を踏み入れる。そこには、アンモニアの匂いが漂う初期熟成の空間、ひんやりとした室温と湿度、床に反射する褐色の光——コンテが熟成される“時間”そのものが広がっていた。その光景を目にした瞬間、ファニーさんの表情が変わる。
「分かった!これなら刷れる。」
写真家の感動を共有することで作品のイメージが湧き、刷るべきものが見えてくる。これこそが、人間国宝の技なのだと感じた。
だが、この感動は僕とファニーさんだけに留まらなかった。しばらくすると、今度はジャン=シャルル氏がファニーさんのアトリエを訪ねてきた。彼は、僕が心を打たれたエリオグラビュールとは何なのか、実際に確かめたいと思ったのだ。
ファニーさんは一連の作業を見せ、最終的なエリオの質感を示した。すると、ジャン=シャルル氏も、僕のやりたいことを理解したようだった。一つの作品を生み出すために、写真家、熟成士、摺師の三者が思いをぶつけ合い、アイデアを交換する。そして、
「この写真にはこういうシーンが必要だ。」
「ならば、こういうカットにしよう。」
「この作品には、この大きさが必要だ。」
こうして作品のイメージがどんどん膨らんでいく。そして、その結論は——またしてもジュラへ戻ることだった。
熟成とは、長い雪に閉ざされた冬の中で、人が生き続けるために生まれた必然の営みだ。だからこそ、コンテチーズを語るには、雪に覆われたジュラの風景が不可欠なのだ。
つづく

写真家がシャッターを切った瞬間と、摺師が感じ取ったコンテチーズの質感。
そのわずかなズレを埋めるように、摺師は実際にチーズに触れ、エリオグラビュールの技法を通してイメージを研ぎ澄ませていく。

写真家の視点を自身の手で感じ取り、エリオグラビュールへと昇華させていく。

手掛けたのは、最高のコンテチーズを追求するジャン=シャルル。
その熟成の結晶が、エリオグラビュールの表現へとつながっていく。

その後、フランスの美しい村々を巡りながら、ゆっくりと帰路についた。

それがシャトーヌフ(Châteauneuf)。
そこにあるシャトーヌフ=アン=オーソワ城には、なんとルーヴル美術館で一番好きなフィリップ・ポーの墓があるではないか!? 15世紀、彼はブルゴーニュ公国の貴族であり、この地の領主だったのだから当然かもしれない。
しかし、ルーヴル美術館にあるものがオリジナルだそうだ。

ここでは、フラヴィニー修道院のベネディクト派の修道士たちが生み出したキャンディが有名で、4世紀にわたり現在も修道院内で作られ続けている。
『アニス・ド・フラヴィニー』というブランド名の通り、アニス風味が代表的だが、今ではさまざまなフレーバーが楽しめる。
パスティスなどアニス系の味が好きな人にはたまらないボンボンだ。
ちなみに、この日、日本人の方と出会った。話してみると、やはりフランスの美しい村巡りをされていた。
美しい村はたいてい不便な場所にある。
この日本人の方はタクシーで巡っていると聞いて驚いたが、同時に、こちらがバイクで回っていることにも驚かれたようだった。

世界遺産にも登録されているこの修道院は、装飾性を一切排した厳粛な美しさを持つ。


15世紀の木骨造りの美しい家々が、かつての農業と商業の栄華を今に伝える村だ。

ここで、それぞれの立場から作品にどう向き合うか、熱い想いをぶつけ合い、ついに作品の方向性が決まった。
今思うと、この瞬間こそが、作品作りの中で最も胸が熱くなり、心が躍った時間だったのかもしれない
文・写真 櫻井朋成
<関連リンク>
コンテチーズ生産者協会(日本支部):https://www.comte.jp
Forte des Roussees Juraflore : https://www.fort-des-rousses.com/fr
Atelier Fanny Boucher : https://www.heliog.com
フランス在住の写真家。フォトグラビュール作品を制作。現在はジュラ地方のガストロノミーを追い、コンテチーズやヴァンジョーヌ、ワインに関わる人々や伝統を記録中。 個展や展示情報はこちらから!
https://tomonari-sakurai.com
グラビュール作品についてはnoteでも執筆中
https://note.com/tomogravure
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