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奄美大島が、日本が、世界に誇れる日本の伝統工芸「本場大島紬」

着物の女王“大島紬”と私の原風景

奄美大島の豊かな自然から生まれた日本の伝統工芸「本場大島紬」。“大島紬”という名前を耳にしたことはありますか?

奄美大島が誇る伝統工芸「大島紬」は約1300年もの歴史を持ち、世界一精巧な絣(かすり)織物でフランスの「ゴブラン織」イランの「ペルシャ絨毯」と並び、世界三大織物の一つです。絹100%の織物で「着物の女王」とも言われています。

私の出身地、奄美大島の龍郷町は、大島紬の伝統的な柄である「龍郷柄」や「秋名バラ柄」の発祥となった地域であり大島紬と特に深いゆかりがあります。

後継者不足という大きな課題に直面している伝統工芸「本場大島紬」

私が子供の頃は、集落の約半数ほどの人が大島紬に関わる仕事をしていました。

通学路を歩けばあちこちから機織りの音や、糸繰りの機械の音が響き、染めをする工房の前を通るとテーチ木の独特の香りが漂い、河原の土手沿いには糊張りされた白い絹糸がキラキラと輝きながら五線譜のようにピンと張っていて、生活の中に当たり前のように大島紬が溶け込んでいました。

大島紬は昭和40〜60年代が生産量が多く、昭和47年にピークを迎えてからはどんどん減少していきました。平成4年にはピーク時の3分の1ほどに生産量が減っています。

それと共に織り工や、紬に関する仕事をする人もどんどん減り、集落内にあの懐かしい機織りの音が響くことはありません。現在、大島紬は後継者不足という大きな課題に直面しています。

何よりも魅力的な大島紬の着心地

大島紬の魅力が一番感じられるのが、大島紬ならではの着心地です。この着心地は他の着物と比べると一目瞭然です。何よりも軽いため、着付けがしやすく、動きやすいので着物独特の窮屈な感じがあまりありません。素材は絹100%なので、肌触りがスルッとしていてとても着心地がいいのも魅力のひとつです。

大島紬特有の艶のある黒色は、着る人の品を引き立たせより美しく見せてくれます。シックな色味が多いので、帯を変えることで雰囲気が変わり様々なコーディネートを楽しめます。

着物の業界では「紬」というカテゴリーがカジュアルな服装に分類されることから、大島紬も普段着が主でフォーマルには向いていないという考えもあるようですが、奄美の先人たちが生み出した世界に誇れる伝統工芸「大島紬」を島人(しまんちゅ)たちはとても大切に思っており、成人式や結婚式など人生の大切な場面で着る人が多くいます。

大島紬の振袖や羽織り袴を着ている新成人たちは男女ともにとても凛として見え、大人の落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

実際に私自身も成人式では大島紬の振袖を、自身の結婚式では式用に母が仕立ててくれた大島紬を着ました。人生の節目を大島紬が彩ってくれ、とても大切な思い出として残っています。

大島紬は丈夫で長持ちするため、このような大切な思い出が詰まっている紬を、自分の子や孫、三世代先まで受け継ぐ事ができます。私の母は祖父の古い紬をほどき、チュニックやコートなど洋服に仕立て直し長年愛用しており、時代を超えて新しい形でも楽しむことが出来るのも大島紬ならではの魅力です。

※絣(かすり)とは
生地を織る前に染め分けした糸(絣糸)を組み合わせた柄のことで、先染織物ならではの魅力的なパターン柄です。

丈夫で長持ちする大島紬。その理由には工程にあり

「本場大島紬」の工程は大まかに、図案→糊張り→締機(しめばた)→染め(泥染・テーチ木染め)→準備加工→機織り(はたおり)→製品検査があり、この工程を更に細かく分けると30〜40近い工程になります。この各工程ごとに職人がおり、専門の職人たちが手作業で次の職人へとバトンを繋ぎ作り上げていきます。そのため一反の大島紬が完成するまでに、たくさんの職人が関わり半年〜1年以上の期間がかかります。奄美の職人たちの技と知恵の結晶が「大島紬」なのです。

この工程からも分かるように大島紬は先に糸を染めてから織っていく「先染め」という技法が用いられています。染めた糸を縦と横で合わせて織りながら、図案で決められた柄や絵を表していくため、大島紬には裏表がなく両面同じ柄になります。そのため、長年着用しているうちに片面が毛羽立ってきたり色褪せてしまった場合、裏返してまた仕立て直すことができ、これが代々受け継いでいける理由の一つでもあります。

大島紬最大の特徴の一つが「染め」の工程の「テーチ木(車輪梅:しゃりんばい)染め」と「泥染(どろぞめ)」であり、世界で奄美大島だけで行われている天然の染色方法です。大島紬特有の艶のある黒色や丈夫で長持ちする耐久性を生み出しています。

テーチ木という呼び方は奄美の方言で、和名を車輪梅(しゃりんばい)といいます。葉が枝先に車輪のように放射状に広がっていることや、梅に似た白く小さな花を咲かせることから車輪梅(しゃりんばい)という名前がついたそうです。テーチ木は昔から島内に自生しており、主に海岸近くに多く見られらます。

切り出したテーチ木の幹を細かく砕きチップ状にし、大きな釜で約二日間煮出してタンニンやポリフェノールなどの成分を抽出します。これを一週間かけ自然に冷まします。冷ます過程で微生物が混入し発酵するため、麹に似たような独特の匂いを発し、茶褐色のとろみを帯びたテーチ木染めの染料が出来上がります。

テーチ木を染料として使用する際、10年後に再度染料として使用できるようテーチ木の幹を1mほど残して切り出します。また、煮出し終わったテーチ木のチップは次に煮出す時の燃料として使用し、遠い昔から資源を無駄にせず持続できるよう工夫してきた奄美の先人たちの知恵や工夫には驚きます。

泥染めは泥田で行います。奄美群島は地殻変動やサンゴ礁の隆起によって形成されたため、泥の中に古代地層特有のきめ細い粒子がたっぷりと含まれています。この粒子により絹糸を傷つけることなく染められ、糸がしなやかになり艶が出ます。

この古代地層には酸化鉄が多く含まれており、テーチ木染めした絹糸を丁寧に泥田で揉み込んでいくと、泥の中の鉄分がテーチ木のタンニンと化合して大島紬特有の黒色へと変化します。糸の中に鉄分が含まれることにより、防虫・防臭効果、静電気防止、防カビ効果など様々なメリットが生まれます。大島紬が丈夫で長持ちする理由はここにあります。

テーチ木染め約30回と泥染1回を一つの工程とし、これを約4回(合計約120回)も繰り返していくので、気が遠くなるようなとても体力がいる大変な作業です。このように職人の労力と時間をかけ、深みと艶のある黒色になっていきます。奄美の山の恵み「テーチ木」を絶やすことなく無駄にせず活用し、大地の恵み「泥田」の特性を活かした大島紬の黒色は奄美の大地の色、地球の色とも言えます。

大島紬の伝統的な泥染

島人と大島紬

染めの工程を終えた絹糸は「高機(たかばた)」という手織り用の機織り(はたおり)機を使い、丁寧に一本一本、縦糸と横糸の点と点を合わせながら柄や絵を織っていきます。非常に細かく根気のいる作業で、柄にもよりますが一反織るのに約1〜3ヶ月かかります。

かつて奄美の女性の「在宅ワーク」と言えば機織り(はたおり)で、大島紬を織る人は織工(おりこう)と呼ばれ、集落にはたくさんの織工がいました。

私の祖母は80歳まで大島紬を織っており、母も私が産まれる前まで自宅で紬を織っていました。機織り専用の部屋があり、小さな灯りの下で紬を織る祖母の姿を覚えています。近所には織り工が何人もいる工場(こうば)もあり、機織りの「カラカラ…トン、トン」という音が集落内のあちこちから聞こえてきてとても賑やかでした。この音はとても耳に心地よく、今でもとても懐かしく感じます。

大島紬のこれから

奄美市では、本場大島紬への理解を深め慣れ親しんでもらい、大島紬の振興による豊かなまちづくりを推進するため、昭和53年から毎年1月5日を「紬の日」と制定しています。毎年この日には市内で「紬の日のつどい」というイベントが開催され、紬の端切れを使った様々なワークショップや、市民が紬を身に纏い街を歩く「大島紬大行進」そして大島紬のファッションショーなどが行われ街全体が紬で華やぎます。過去には500人もの紬を着た人たちで賑わい、毎年このイベントを通して島内外へ大島紬の魅力を発信しています。

今年はこのイベントも新型コロナウイルスの影響で中止になってしまいました。

感染状況が落ち着き取材活動が再開できるようになった際には、大島紬の可能性を広げるため奮闘している若い作り手たちの様々な活動も紹介していきたいと思います。

先人たちの教え

奄美の昔からのことわざに「水(むぃじ)や山うかげ、人(ちゅ)や世間(しけん)うかげ」という言葉があります。「森林があるおかげで水が保たれており、水のおかげで森林も保たれている。人もそれと同じで周りの人に支え助けられている。感謝の気持ちを忘れないようにしなさい」という意味を持ちます。奄美の豊かな自然に感謝し守りながら、先人たちが生み出した知恵や技術が詰まった「本場大島紬」はこのことわざを体現しているようです。

約1300年もの昔から大島紬の技術と共に受け継がれてきたこの精神は、自然と共に生きる奄美の人たちに今も脈々と息づいています。

自然の中で生かされている私たちが未来へと紡いでいかなければならないことは、先人たちの教えかもしれません。

新型コロナウイルス の影響で、延期されていた「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」の世界自然遺産への登録については今年、可否が決まる見込みです。奄美大島最大の特徴である自然を未来に残すために、そしてその大自然がもたらす奄美の伝統と文化、どちらか一方がかけることなく、これからも紡ぎ続けなければならないと私は思います。

次回は、奄美大島の豊かな自然に魅了され奄美に移住し、大島紬の染色工として働きながら絵を描き生涯を閉じた、孤高の天才画家「田中一村」を紹介します。

文:佑美 イラスト:Yu Ikari

Information

大島紬のもっと詳しい工程は、奄美大島にある大島紬村で製造見学や各種体験ができます。また、大島紬やお土産物の販売も行われています。

大島紬村(http://www.tumugi.co.jp/index.html
住所:鹿児島県大島郡龍郷町赤尾木1945番地
開館時間:9:00〜17:00
入場料:500円(大人)、小中学生(200円)
    ※ショッピングのみのご利用は無料
電話:0997-62-3100
定休日:年末年始
※新型コロナウイルス の影響により、情報が異なる場合があります。詳しくはホームページなどで事前にご確認ください。

過去の記事

私の愛する故郷「奄美大島」 古から未来へ、想い紡ぐ結の島<前編>

私の愛する故郷「奄美大島」古から未来へ、想い紡ぐ結の島<後編>



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