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CULTURE

コンテチーズの原点を訪ねて──過去と現在の交差点

100年前のコンテ作りを体験する

最終日。本来ならすべての撮影を終え、ゆっくりと帰るだけのはずだった。ところが、現地に到着してから、約束していた5月1日が祝日であることに気づき、チーズ工房と熟成庫の訪問予定がそれぞれ変更になってしまった。さらに、到着してすぐにぎっくり腰をやってしまうというアクシデントも発生。気温がこれほど下がるとは予想しておらず、不十分な防寒装備でバイクに乗らなければならなかった。朝になると、天気予報どおりの土砂降り。レインウェアを身にまとい、一路コンテチーズ工房へ向かった。

今日訪れるチーズ工房は、その名も「1900」。つまり、1900年当時の製法でコンテチーズを作っている場所だ。今まで見てきたチーズ工房とは異なり、電子機器を使わず、人の手によって作られる。その製法は中世のものと大きく変わっていない。僕にとって非常に興味深い工房である。もしこの工房でなかったら、訪問をキャンセルしてそのまま帰途についていたかもしれない。

“Fruitiere 1900″100年前と同じ方法でコンテチーズを作る工房なのだ。

ほとんど住宅街のような場所にある工房。確かに看板はあるが、それがなければ一般の家と見間違えてしまいそうだ。ずぶ濡れのままレインウェアを脱ぎ、準備を整えて工房へ入る。そこには、この時代に使われていた道具が並び、まるでタイムスリップしたかのような光景が広がっていた。まさに僕が好きな雰囲気だ。

薄暗い工房の中には、すでに銅製の釜が用意され、ミルクが入れられていた。その後ろには教室のようにテーブルや椅子が並んでいる。ここでは、昔ながらのチーズ作りの実演が行われているのだ。今回は撮影のため、特別に僕だけが見学させてもらえることになった。

最初に90度くらいまでミルクを温める。
この時に熱が効率的に釜に行くように壁があるが、今度は50度近くまで冷却する。火を弱め、その壁を開けていく。

100年前の製法で作るコンテチーズ

昔、コンテチーズ作りは夫婦で行うのが一般的だった。夫は釜の中のミルクを攪拌しながら、温度を見極める。妻は釜に薪をくべたり、その他の作業をサポートしたりする。そんな話を聞きながら、ミルクを熱していく。焦げ付かせないように絶えず攪拌しながら温度を上げる。昔は温度計を使わず、肌で温度を感じ取った。

例えば、最初にミルクを90℃まで加熱する際には、指を入れて温度を確認する。

・第一関節まで入れられなければ熱すぎる。
・第二関節まで入れられるなら、まだぬるい。

そんな感覚で、適切な温度を見極める。今、ちょうどいい温度になったようだ。

人差し指を熱したミルクに入れてその感覚で温度をしるのだ。
※写真はエリオグラビュールの作品

次に、釜を火から離して50℃程度までゆっくりと冷却していく。

この段階で、ミルクが徐々に凝固し始める。液体だったものが固まり、チーズへと変わる瞬間だ。杏仁豆腐のような硬さになったら、攪拌を開始し、カード(固形分)とホエイ(乳清)に分離させる。

この作業は手作業で行うが、基本的な工程は現代のチーズ作りと変わらない。攪拌や温度管理を機械が行うか、人が行うかの違いだけなのだ。カードが米粒ほどの大きさになり、適度な柔らかさになったら、チーズ作りの最大の見どころ「カードの掬い出し」に入る。現代ではポンプで吸い上げてしまう工程だが、当時は人の手で掬い上げるしかなかった。

カードを掬い出すための布の片方を首に巻き、もう片方に金属の板を入れて準備をする。

100年前の技術で掬い出すチーズ

掬い出しの作業には、特殊な布と金属の薄い板を使う。布の片方を首に巻き付け、もう一方に金属板を通す。その金属板を湾曲させて釜の底のカーブに合わせる。そのまま布を引き上げ、釜の底に溜まったカードを一気に掬い上げる。

そして最大の見せ場、釜の底に貯まったカードを一気にその布で掬い出すのだ。
※写真はエリオグラビュールの作品
掬い出した後その布を滑車に縛り付ける。

ホエイ(乳清)の温度は50℃程度。腕を突っ込むにはかなり熱い。さらに、掬い上げたカードは相当な重量だ。そのまま滑車を使って吊り上げ、型に入れる。こうして、コンテチーズの赤ちゃんが誕生する。あとは、ここで約2週間ほど管理された後、熟成庫へと引き継がれていく。

型に入れたら余分な水分を圧をかけてゆっくり絞り出す。昔からの木製の絞り器を使う。

「味は変わらないよ」

一連の作業を見学し、撮影を終えたところで、僕はひとつ質問を投げかけた。

「この昔ながらの製法で作ったコンテチーズは、やはり味が違うのか?」

すると、工房の職人はこう答えた。

「変わらないよ。このやり方が好きだからやってるだけさ。」

もともと彼は現代のチーズ工房で修行し、独立する際にこの古い製法を選んだのだという。

コンテチーズは写真展の一部では終われない

この体験を通じて、僕は「コンテチーズは写真展の一部では終われない」と強く感じた。

この工房で作られたというゼラチンで出来たプレートを張り付ける。
ここの工房の番号に5月と記されており、数字だけのモノがこの日の日付になる。

すでに時計は午前10時を回っている。次の熟成庫に着くのは11時ごろだろう。お昼を過ぎたあたりには帰路につけるだろうか?高速に乗ったら、最初の休憩で遅めの昼食をとろう。遅くなる前に帰れるだろう。そんなことを考えながら、土砂降りの中、バイクを走らせた。そして、この後、運命の出会いが待っていることを、この時の僕はまだ知らなかった…。

このコンテチーズ工房1900での写真を始めフランスの風景がポストカードで販売中。
Roonee 247 Fine Artsまで。

<関連リンク>

コンテチーズ生産者協会(日本支部)https://www.comte.jp
La Fruitière 1900https://www.fruitiere1900.fr/

文・写真 櫻井朋成

フランス在住の写真家。フォトグラビュール作品を制作。現在はジュラ地方のガストロノミーを追い、コンテチーズやヴァンジョーヌ、ワインに関わる人々や伝統を記録中。 個展や展示情報はこちらから! 
https://tomonari-sakurai.com
グラビュール作品についてはnoteでも執筆中
https://note.com/tomogravure

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